便利な「予測変換」が、私たちの心を窮屈にしている
スマートフォンやパソコンで文章を打つとき、数文字入力しただけで「あなたが打ちたいのはこの言葉ですね?」と先回りして候補を出してくれる「予測変換」機能。 元Web屋の私から見ても、これほど作業効率を上げてくれる素晴らしいシステムはありません。
しかし、私たちは知らず知らずのうちに、自分自身の「人生」や「心」にまで、この予測変換機能を適用してしまってはいないでしょうか。
「どうせ今回も失敗するに決まっている」 「あの言い方だと、絶対に怒られるだろうな」 「このままいけば、将来はきっと行き詰まる」
まだ何も起きていないうちから、過去のわずかなデータ(経験)をもとに、ネガティブな未来を自動で予測し、勝手に不安のドツボにハマっていく。 現代人の多くが、この「心の予測変換」によって、自ら心を窮屈にさせてしまっています。
不安の正体は、脳が作り出す「エラー予測」
なぜ私たちは、頼んでもいないのに悪い未来ばかりを予測してしまうのでしょうか。 ITのシステム開発では、事前にあらゆるバグやトラブルを想定する「エラー予測」が必須です。実は、人間の脳もこれと全く同じ働きをしています。
脳は私たちを危険から守るために、常に最悪の事態をシミュレーションする防衛本能を持っています。つまり、ネガティブな予測変換は、あなたを傷つけないための「過剰なセキュリティシステム」なのです。
しかし、冷静になって振り返ってみてください。 これまであなたが頭の中で予測してきた「最悪のエラー」は、現実の世界でどれくらい的中したでしょうか。案外、「取り越し苦労だった」「なんとかなった」ということの方が圧倒的に多いはずです。
仏教が教える「妄想」と、「今、ここ」の智慧
仏教では、まだ起きていない未来を先読みして不安になったり、過ぎ去った過去を悔やんだりする心の働きを「妄想(もうぞう)」と呼びます。
私たちが妄想という予測変換に囚われているとき、心は「今」から完全に離れてしまっています。 禅の教えに「即今、当処、自己(そっこん、とうしょ、じこ)」という言葉があります。過去でも未来でもなく、「今」「ここ」にいる「自分自身」にただ集中しなさい、という意味です。
「こうなるに決まっている」という先回りは、目の前にある現実の風景から色を奪ってしまいます。予測のフィルターを通して世界を見るのをやめ、ただ目の前にある「今」をありのままに味わうこと。それこそが、仏教が説く究極の安らぎなのです。
一文字ずつ、自分の手で打ち込む生き方
では、どうすれば心の予測変換をオフにできるのでしょうか。
もし、「どうせダメだ」「きっと怒られる」というネガティブな候補が頭にポンと浮かび上がってきたら、その瞬間に「あ、また心の予測変換が出たな」と客観的に気づいてください。そして、心の中でそっと「キャンセル」のボタンを押すのです。
未来は、Googleの検索窓のようにあらかじめ答えが用意されているわけではありません。
予測された結末に飛びつくのではなく、一文字一文字、キーボードを叩くように「今、自分ができる行動」を丁寧に積み重ねていく。その過程の感触、景色、迷いすらも、そのまま味わってみる。 結果がどうなるかは、その文章(行動)を最後まで打ち終わってみるまで、誰にも、仏様にすら分からないのです。
結び:未確定の未来を楽しむ余白を
「こうなるに決まっている」という思い込みを手放すと、世界は急に広がり、思いもよらない嬉しい誤算や、新しいご縁が舞い込んでくるようになります。
今日からは、心を「効率化」して未来を急ぐのを少しだけお休みしてみませんか。
予測変換の機能をオフにして、不確実で、何が起こるか分からない「今」という時間を、たっぷりと味わいながら歩んでいきましょう。
