〜僧侶歴30年、失敗だらけの私が気づいた「3つの自戒」〜
私が僧侶となってから30年以上が経ちました。住職となってからももうすぐ20年になります。
若かりし頃の私は、どこか尖っていました。
「正しい教えさえ説けば、人はついてくる」
「作法を完璧にこなせば、誰からも文句は出まい」
そう信じて、肩肘を張って生きてきました。 しかし、30年という月日を経て、今、痛烈に感じているのは「あの頃の私は、何もわかっていなかった」という後悔です。
仏法は正しい。けれど、それを伝える私が「嫌な奴」だったら、その正しさは誰にも届かないのです。
この記事は、教科書には載っていない、しかし現場で最も痛感した「住職に本当に必要なこと」についての懺悔録であり、これからを担う僧侶たちへの遺言のようなものです。
どうか、私のようにならないでください。 私が30年かけて、恥をかき、失敗してようやく気づいた「住職の条件」を、ここに記します。
1. 「慣れ」という魔物と戦い続けているか
僧侶歴30年ともなれば、目をつぶっていてもお経があげられます。法事の段取りも、体が勝手に動きます。 しかし、この「慣れ」こそが、僧侶を腐らせる一番の毒です。
かつて、ある檀家さんに言われたことがあります。
「住職のお経は、上手すぎてBGMみたいですね」
褒め言葉ではありませんでした。 私の読経は、いつしか「流れるような作業」になり、一文字一文字に魂を込めることを忘れていたのです。 「私が読む」のではなく、「仏様に届ける」。その基本が抜け落ち、自己満足のパフォーマンスになっていました。
法話もそうです。 「今日はいい話ができたな」と自分が満足した時ほど、檀家さんの反応は薄いものです。 逆に、うまく話せなくて冷や汗をかきながら、必死に言葉を探した時の方が、「今日の話、沁みました」と言われたりします。
・自分のお経が我流になっていないか、録音して聞いたことはありますか? ・法話の相手はお年寄りか、若者か。その「属性」に合わせて言葉を選んでいますか?
常に自分の姿を客観的に振り返る(観照する)こと。 ベテランになればなるほど、誰からも注意されなくなります。だからこそ、自分で自分を疑う姿勢を持ち続けなければなりません。
2. 嫌われたら終わり。正しさよりも「誰が言うか」
「僧侶は嫌われてナンボだ、厳しいことを言うのが仕事だ」とうそぶく人がいます。 かつての私もそうでした。しかし、それは間違いです。
僧侶とは、仏法という清らかな水を注ぐ「器(うつわ)」です。 もし、器である私たちが、傲慢で、不潔で、嫌な奴だとしたらどうでしょう。 中に入っている水(教え)がどれほど正しくても、誰もその水を飲もうとはしません。
「何を言うか」ではありません。「誰が言うか」です。 住職が嫌われた瞬間、仏法そのものが拒絶されるのです。
だからこそ、私は自戒を込めて言います。 意見が二分される話題、政治、極端な社会問題については、軽々しく発信すべきではありません。 あなたが「右」を向けば、「左」の考えを持つ檀家さんは心を閉ざします。 私たちの仕事は、論破することではなく、右の人にも左の人にも、等しく仏法をお伝えすることです。
そして、「贅沢」に見える振る舞いも慎むべきです。 高級車、派手な時計、美食。「住職も人間だ」という言い訳は通用しません。世間は、そのお金が「お布施」であることを知っています。 清貧であれとは言いませんが、「清貧に見られる努力」は、檀家さんへの最低限のマナーです。
見られている意識を持つこと。 それが、信頼という名の衣をまとうことです。
3. 「答え」を急がない。「待つ」胆力を持つ
最後に、これが最も難しく、かつ重要なことです。 私たち僧侶は、修行で多くの知識を得ているため、相談を受けるとすぐに「答え」を出したくなります。
「それは執着ですね」
「ご先祖様を大切にしないからですよ」
相手の話を遮り、仏教用語で分析し、解決した気になってしまう。 これは、相手を救いたいのではなく、「正解を出して自分が楽になりたい」というエゴです。
本当に苦しんでいる人は、正論なんて求めていません。 ただ、聞いてほしい。わかってほしい。 あるいは、言葉にならない悲しみを、ただ隣で共有してほしいのです。
AIやGoogle検索は、0.1秒で正解を出します。 しかし、「沈黙に耐えて、ただ隣に座り続けること」は、生身の住職にしかできません。
すぐに教えようとしないこと。 答えを急がないこと。 沈黙を恐れず、じっと待つこと。
「教える人(ティーチャー)」ではなく、「聴く人(ヒーラー)」であること。 これからの時代、AIにはできないこの「待つ胆力」こそが、住職の価値になります。
結び:30年かけて、ようやくスタートライン
「常に振り返る」
「嫌われない(信頼される)」
「答えを急がない」
これらは全て、私が30年かけて失敗し、恥をかいて、ようやく気づいたことです。 偉そうに書いていますが、私自身、まだ道の途中です。
これから住職になる皆さん、あるいは今、迷っている皆さん。 どうか、私の失敗を糧にしてください。 そして、私よりも早く、私よりも良い住職になってください。
変わりゆく世界の中で、私たち自身が変わっていくことでしか、変わることのない仏教の教えは伝わりません。 共に、精進してまいりましょう。
